発達支援に携わっていると、お子さん方の「パニック」に出会うことがあります。
いつもと違う道を通ったとき。
欲しかったものが手に入らなかったとき。
思い通りにならなかったとき。
泣く、怒る、動けなくなる、強く拒否する。
こうした姿だけを見ると、私たち大人はつい「パニックを起こさせないようにしよう」と、まず考えてしまうんじゃないでしょうか。
もちろん、安心できる環境を整えることは大切!
無理に苦手なものへ向かわせればいい、ということでもありません。
しかし、発達支援の目的をもう少し先まで考えてみる必要があると思ってまして…
「今日、パニックを起こさなかった」ことだけが、支援のゴール…ではありません。
僕たちが本当に願うべきは、そのお子さんが成長したときに、自分の人生をできるだけ自由に選び、色んな人や出来事と出会いながら、幸せに生きていけることではないか?
と思うわけです。
パニックは、単なる「わがまま」や「困った行動」として捉えるものではないと。
そのお子さんにとって耐え難い不安や恐怖、混乱があって、それをうまく言葉にしたり整理したりできない結果として、パニックという形で現れていることが往々にしてあります。
だから大切なのは…
「どうしたら、この行動を止められるか」ではなく「この子は何に困っているのだろう」と考えること。
見通しが立たないことが怖いのかもしれないし、感覚的に受け入れにくいのかもしれない。
「いつもと同じ」であることで、なんとか安心を保っているのかもしれない。
あるいは「嫌です」「わかりません」「手伝ってください」という気持ちを、まだ適切な方法で伝えられないのかもしれません。
行動には、その子なりの理由がどこかに必ずあります。
その理由を理解することが、支援の出発点になります。
目次
「パニックを起こさせない支援」だけでは、世界が狭くなることがある
ここは、発達支援においてとても大切なところかなと感じてます。
子どもが嫌がることをすべて取り除き、予定変更をなくし、いつも同じ場所、同じ物、同じ順番で生活できるようにできれば…
確かに、パニックは減るかもしれません。
でも、その方法だけを続けていくと…
「安心して生活するためには、周囲が自分に合わせ続けなければならない」
という状態になってしまう可能性があるということです。
もちろんですが、社会には変化があります。
電車が遅れることもあれば、予定が変わることもあります、欲しいものが売り切れていることもありますし、いつもの先生がお休みすることもあります。
人生から「想定外」をすべて取り除くことは残念ながら不可能、できません。
だからこそ支援では、環境を整えることと同時に、変化があっても、自分を立て直せる力を少しずつ育てていく。
この視点が非常に大切で、めっちゃ必要だと思ってます。
克服って「我慢できるようにすること」ではなくて、ここでいう「克服」は、無理やり我慢させることではないです。
怖がっている子どもを突然その状況に放り込み「慣れなさい」と求めることでもないです。
本質は、その子が受け止められる大きさに経験を調整することです。
「思っていたほど怖くなかった」
「予定が変わったけれど大丈夫だった」
「困ったときに助けを求められた」
そんな経験を一つずつ積み重ねていく。
昨日できなかったことを、今日いきなり100%求めるのではないです。
その子にとっての「ちょっとだけ頑張れば越えられる幅」を、大人が見極める。
そして越えられた経験を一緒に喜ぶ。
この積み重ねは「変化=怖いもの」だった世界が、少しずつ「変化があっても大丈夫な世界」へ変わっていきます。
「要求を通す・通さない」より大切なこと
支援の現場では、要求をどこまで受け入れるかという場面もあります(これは日々支援者が格闘してるところでもあります)
でもですね、本質は?というと…
単純な「言うことを聞かせること」ではありません。
本質的に育てたいのは、自分の思いと、現実との折り合いをつける力です。
「いつもの道を通りたい。でも今日は工事をしている」
「もっと遊びたい。でも終わりの時間になった」
こうした経験の中で「残念だけど、次へ進める」という力を育てていくこと。
これは、大人になってからも必要になる大切な力です。
「嫌です」「わかりません」「助けてください」を育てることに加えて、もう一つ、とても大切にしたいことがありまして…
パニックを減らすというと「我慢する力」に注目しがちですが、僕はむしろ適切に助けを求める力を育てることが大事なんじゃない?と考えてます。
言葉で伝えにくい子であれば、まずはカードや身振りでも良いです。
「わかりません」
「教えてください」
「手伝ってください」
これらを伝えられるようになることは、ものすごく大きな成長です。
パニックになるまで一人で耐え続ける必要がなくなりますから。
困ったときに人を頼れること、これは立派な自立の一部
目指すのは「パニックゼロ」ではなく、その子の人生が広がることだと。
僕たち支援者が見失ってはいけないのは、目の前の行動だけではなく、その子の人生
「あれもやめておこう」
これを繰り返しているうちに、その子が経験できる世界そのものが小さくなってしまったら、それは本当に本人のためになっているんでしょうか?
支援って、本人を守ることだけでは決してないです。
安心できる土台をつくったうえで、世界と出会えるようにすることも含めて
怖かったものが、それほど怖くなくなる。
予定が変わっても立て直せる。
困ったら助けを求められる。
失敗しても、もう一度やってみる。
そうやって少しずつ「自分は大丈夫」と思える経験を増やしていくことなのだと思います。
自由な心で生きてほしい
療育での支援の最終的な目的は「大人の言うことを聞ける子」をつくることではないです(指示を理解して行動するという力は大事ですが)
その子自身が考え、選び、必要なら人を頼り、変化にも少しずつ対応しながら、自分の人生を歩いていけるようになることだと、そう思います。
こだわりを全部なくす必要もありませんし、その子らしさまで変える必要もありません。
好きなものや大切にしているものは、その子の人生を豊かにしてくれるものでもあります。
だからこそ…
「こだわりがあるから生きられない」のではなく「こだわりを持ちながらも、自由に選べる」状態を目指したい。
安心できる場所から、ほんの少し外へ、できたら、また少し外へ。
その繰り返しと積み重ねた経験から、子どもの世界は広がっていきます。
パニックの克服とは、単に「泣かなくなること」「怒らなくなること」ではないのだと思いますよ。
不安に支配される世界から、その子自身が選択できる世界へ
そのための経験を、一人ひとりの発達に合わせて丁寧につくってく。
そしていつか、支援者や親がそばにいなくても「大丈夫、なんとかできる」と思える人になってほしい。
それが、僕たちASTEPが発達支援を通して子どもたちに届けたい「自由な心」なんです。

