【支援者必読】その行動を「終点」にするか「起点」にするか

【支援者必読】その行動を「終点」にするか「起点」にするか

僕は常々、ASTEP支援者たちに『見る目』に磨きをかける問いを立ててきました(一応つもり)

だからX(Twitter)でも毎日投稿したものを、グループチャットにスクショで流してるし、面談の時も、だいたい焦点はそこの部分です。

僕は一時期「専門性の高い支援者」を仲間にするべく躍起になっていた時期があります。

専門職(いわゆる資格保有者)です。

理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、臨床心理士・公認心理師、保育士 …etc

専門性を担保できる、事業所として見栄えも良い、他所との差別化、加算も取れる、関係機関との連携強化、事業の継続性、採用力アップ …etc

こう見ると良いことずくめですよね。

でも、ある出来事がありました。とても考えさせられる大きな出来事です。

療育で大事なところってそこだけじゃないな、と気付きました。

僕がこの出来事が起こるまで固執していたのは、いわゆる外側です。

内側は?というと、支援者それぞれの人間性や人柄、ぬくもりの部分です。

それに気づいてから、ある理論を打ち立てました。

『人間性や人柄』これが1階にあたる部分

『専門性やスキル、経験』これが2回にあたる部分

家で見立てると、1階部分の基礎が突貫で作られているなら土台はぐらぐら、2階もろとも崩れ落ちてしまう。

1階の基礎がしっかりしているから、2階で快適に生活できるし、DIYしていくことができる。

という考え方です。

でも最近、この理論もどうなんだろうと問いを立てる出来事がありました。

今では…

1階も2階もなく、人間性と専門性は紙一重で重なり合っていて、同義であると。

人間性が専門性であり、専門性が人間性

という考え方に変化をしてったんですよね。

これを家で例えると、もはや1階と2階に分けて考えること自体が違ってたのかもしれません。

人間性が土台で、専門性がその上に積み上がるものではなく…

柱にも、壁にも、床にも、屋根にも、人間性と専門性の両方が溶け込んでいる。

どちらか一方で家が成り立つのではなく、互いが互いを支え合い、一つの家を形づくっている。

どれだけ頑丈な柱を立てても、そこに暮らす人のことを考えられなければ、居心地の良い家にはならない。

反対に、どれだけ住む人を想う気持ちがあっても、それを形にする知識や技術がなければ、安全で快適な家をつくることは難しい。

住む人のことを本当に想うからこそ、もっと良い家にしたいと知識や技術を磨く。

知識や技術が深まるからこそ、これまで気づけなかった住む人の小さな困りごとや願いにも気づけるようになる。

つまり、人間性が専門性を育て、専門性が人間性を磨いていく。

これは療育も同じだと思うんです。

子どもの気持ちに寄り添うことも、行動の背景を読み解くことも、その子の可能性を信じて関わり続けることも。

どこまでが人間性で、どこからが専門性なのか。

そもそも、そんな境界線を引く必要があるんか?と考えるわけです。

専門性とは、知識や技術をどれだけ持っているかだけではなく、それを目の前の子どものために、どう使おうとするかまで含めたもの。

そして、人間性とは、単に優しいとか、温かいとか、そういうことだけではなく、目の前の子どもを理解しようと学び、考え、自分自身の関わりを問い直し続ける姿勢でもある。

だから今は、人間性と専門性を別々に評価するのではなく、その両方が一つの関わりの中にどう表れているかを大切にしたいし、ASTEP支援者に伝えていきたいと考えてます。

良い支援者って、人間性の上に専門性を積み上げた人ではなく、人間性と専門性を切り離さず、磨き続けられる人なのかもしれませんね。

前置きが長くなりましたが、ASTEPで支援をするために必要な極めて重要な視点について深堀りしていきたい。(きっとASTEP支援者も見てるだろうから)

長文になりますが、飽きずにお付き合いください◎

支援の質は、行動への対応ではなく、その行動をどう捉えるかで決まる

前置きでお伝えしたことに繋がりますが、子どもたちと関わる中で、大切にしたい考え方があります。

それは「目の前の行動を、その場限りの出来事として捉えない」ということです。

これは、ASTEP発足から大切にしている「目の前の楽しいよりも、将来の楽しい」という考え方にリンクしています。

子どもたちは日々、さまざまな行動を見せてくれます。

突然走り出す、友達の物を取る、活動から離れる、大きな声を出す、思いどおりにならず怒る …etc

こうした行動に対して、僕ら支援者は瞬時に判断し、何らかの対応を取ります。

もちろん、安全を守ることや、周囲とのトラブルを防ぐことは大切だということを前提として、ここで一つ考えてみてほしいのです。

その対応は、目の前の問題を収束させるためのものなのか。それとも、その子の将来を広げるためのものなのか。

この違いは、一見すると小さなものかもしれません。

でもです。これが日々積み重なるんです。こうした対応を積み重ねた先に生まれる結果は、大きく違ってくると僕は考えてます。

「友達の物を取った」という行動をどう捉えるか

例えば、興味や関心の対象が限られてて、自分の世界を大切にしている子がいたとします。

普段は友達の遊びや持ち物にほとんど関心を示さず、自分の好きなことに没頭して楽しんでる。

そんな子が、ある日突然、友達の持っている物に興味を示し、その物を取ってしまった。

この場面で、支援者はどう対応するでしょうか?

一般的には

「友達の物を勝手に取ってはいけない」

「壊してしまうかもしれないから、いったん預かろう」

「トラブルにならないように、少し距離を取ろう」

といった対応が考えられます。

どれも間違ってはいません。

相手の子の気持ちや権利を守ることも、安全を確保することも、支援者として当然の役割ですから。

でも、そこで支援が終わってしまったらどうでしょうか。

物を取り上げ、見えない場所に片付け、本人の気持ちを別の方向へ向ける。

確かに、その場のトラブルは収束できます。

けれども、僕はここに大きな疑問を感じます。

僕らは問題を解決したのか。それとも、発達につながるかもしれない機会まで片付けてしまったのか。

もちろん、物を取るという行動自体を肯定するわけでは決してないです。

ここでの視点は、その行動を止める必要性と、その行動が持つ発達的な意味を、別々に考えることです。

相手の物は守る。

しかし、その子が何かに興味を示したという事実は、決して見逃さない。

ここに、支援の質を分ける重要な視点があるんです。

問題行動の中に、発達の「芽」が隠れている

先ほどの場面を、もう少し深く考えてみますと…

普段、他者の持ち物に関心を示さなかった子が、友達の持っている物に興味を示した。

これは単なる「物を取った」という出来事で片付けてしまうのは非常にもったいない気がします。

僕は、そうとは限らないと思ってます。

そこには、その子の興味や関心が、これまでとは違う対象へ向かったという変化があるかもしれません。

例えば

自分の好きな物以外にも、関心を持てる対象が生まれた。

友達が使っている物に、初めて魅力を感じた。

他者の行動が、自分の興味を動かすきっかけになった。

興味を持った物を通じて、他者と関わる機会が生まれる可能性が見えてきた。

もちろん、一度の行動だけで、こうした発達的変化が起きたと断定することはできませんが。

単純にその物が魅力的だっただけかもしれませんし、感覚的な刺激を求めていた可能性もあります。

だからこそ、僕ら支援者には観察と仮説が必要になります。

「なぜ取ったのか」だけでなく、「何に心が動いたのか」を考える。

ここが重要で、ASTEPの支援者は全員もれなく持ってもらいたい視点です。(多くの支援者がすでに持ってますよ)

行動の背景を理解しようとすることは、問題行動を正当化することではないです。

むしろ、その行動が持つ意味を丁寧に読み取り、次の適切な行動へつなげるための出発点になると。

僕は、子どもの行動には、まだ表面化していない可能性を発見する手がかりが含まれていると、そう捉えるようにしてます。

そして、その手がかりを見つけられるかどうかは、支援者の捉え方に大きく左右されるんです。

「点」で終わる支援と、「線」につなげる支援

僕は、支援を考えるときに「点」と「線」という表現をよく使います。

点で見る支援とは、目の前に起きた出来事を、その場でどう処理するかという視点です。

友達の物を取った→だから返してもらう。

トラブルを防ぐために距離を取る→そして活動に戻る。

一連の対応としては成立してます。

でも、そこには「次」がありません。

一方で、線で見る支援は違います。

友達の物を取った

→なぜ、その物に興味を持ったのだろう。
→どのような特徴に惹かれたのだろう。
→同じような物を用意したら、興味を広げられるだろうか。
→友達と同じ物を使う活動なら、参加できるだろうか。
→物を介して、友達とのやり取りを生み出せるだろうか。

こうして、一つの行動から次の支援を構想してくことができる。

例えば

最初は同じ玩具をそれぞれに用意して、隣同士で遊ぶところから始めてもいい。

次に、支援者を介して物を渡し合う。

慣れてきたら、二人で一つの物を使う遊びに発展させる。

さらに、「貸して」「どうぞ」「もう一回」といった簡単なやり取りにつなげていく。

その先には、ペアでの活動や、役割を分担する経験、友達と一緒に何かを達成する経験が待っているかもしれません。

もちろん、必ずしもこの順序で発達が進むわけではないですが、可能性というのはこうした仮説や構想が起点なんじゃないでしょうか。

物への興味が、そのまま人への興味につながるとも限らない。

それでも、一つの行動を起点に、どれだけ多くの支援の選択肢を描けるか。

ここに支援者の人間性と専門性が表れると僕は考えています。

目の前の出来事を処理するだけなら、支援はそこで完結します。

でも、その出来事を次の成長につながる手がかりとして捉えれば、支援は未来へと紡いでいくことができます。

重要なのは「行動の意味」は支援者の解釈によって変わるということ

ここからまた、もう一段深く考えてみたいと思う。

同じ子どもが、同じ行動をしたとしても、関わる支援者によって、その後の『経験』が変わることがあります。

なぜか?

それは、支援者が行動に与えた意味によって、次に用意する環境や経験が変わるからです。

例えば、友達の物を取る行動を「困った行動」とだけ捉えた支援者は、再発を防ぐために、その物を遠ざけたり、友達との距離を調整したりするかもしれません。

一方で、「新しい対象に興味を示した可能性がある」と捉えた支援者は、安全を確保したうえで、その興味を生かせる活動を考えるかもしれません。

この違いは、単なる考え方の違いではないです。

子どもが、次に経験する環境そのものを変えていきます。

前者では、トラブルの回避が中心になる。

後者では、トラブルを防ぎながらも、新しい経験を獲得する機会が生まれる。

つまり、支援者の解釈は、頭の中だけで完結するものではないんです。

解釈が支援方針を決め、支援方針が環境を変え、その環境が子どもの経験を変えていく。

この言語化が難しい微々たる経験の積み重ねが、その子の発達に長い目で見た時に、将来的に大きな影響を与えていく。

ここに、僕が考える「起点」の本質があります。

支援者の捉え方は、子どもの未来を直接決定するものではない。でも、子どもが未来へ進むための選択肢を増やすことも、減らすこともできる。

だからこそ、僕らは自分自身の解釈に対して、責任を持たなければいけません。

「できないこと」を探す視点は、可能性を狭めてしまうことがある

発達支援の現場では、どうしても「できないこと」に目が向きやすくなります。

ぶっちゃけると、僕もいまだにあります。

順番を待てない。

友達と遊べない。

集団に参加できない。

気持ちを切り替えられない。

こうした課題を把握すること自体は、アセスメントの視点でも当然にして必要です。

ただ「できない」という評価を、その子の能力の結論にしてはいけません。

例えば「友達と遊べない」という評価を下したお子さん

本当に、その子には友達と関わる力がないのか?

もしかすると、友達との関わり方が分からないだけかもしれませんよね。

関わりたい気持ちはあっても、言葉や行動で表現する方法をまだ獲得していないのかもしれませんよね。

あるいは、友達と関わることよりも、一人で遊ぶことに安心や充実を感じているのかもしれませんよね。

同じ「友達と遊ばない」という姿でも、背景は一人ひとり異なります。

それにもかかわらず、表面的な行動だけで「この子は友達に興味がない」と判断してしまえば、支援者自身が関わりの機会を用意しなくなる可能性があります。

そして、経験する機会が少なくなった結果、いつまでもその力が育ちにくいという循環が生まれてしまうかもしれない。

これは、非常に怖いこと。

子どもに可能性がないのではなく、支援者が可能性を想定していないだけかもしれない。

僕らは、この可能性を常に問いを立てる必要があります。

ただ、すべての子どもが友達と積極的に関わることを目指すべきだ、という意味ではないです。

一人で過ごすことを好む気持ちも、その子の大切な意思であり尊重されるべき気持ちです。

支援の目的は、支援者が望む姿に子どもを近づけることではなく、その子自身が選べる行動や経験を増やしていくことにあるんじゃないでしょうか。

一人で遊ぶこともできる。

友達と一緒に遊ぶこともできる。

必要なときには助けを求められる。

関わりたくないときには、適切に断ることもできる。

こうやって、本人が選択できる世界を広げることが、僕らの目指す発達支援です。

「問題を起こさない子」を育てることが、支援の目的ではない

ここで、もう一つ大切なことがありましてですね。

支援者が目の前の問題を収束させることに意識を向けすぎると、知らず知らずのうちに「問題が起きない状態」を支援の成果として評価してしまうことがあります。

静かに座っている。

指示に従っている。

友達とトラブルを起こさない。

活動から離れない。

もちろん、これらが本人の成長や安心につながっている場合もあるんですけどね。

でも、行動が落ち着いていることと、発達していることは、必ずしも同じではないということを理解しとかねばいけません。

例えば

友達の物を取らなくなったとしても、それが単に友達の持ち物に近づけない環境になったからであれば、適切な関わり方を獲得したとは言えません。

一方で、以前は友達の物を取っていた子が、支援者の手助けを受けながら「貸して」と伝えられるようになったとしたらどうでしょうか。

たとえ、その後にうまく待てず、気持ちが崩れる場面があったとしても、そこには確かな学びの過程があります。

僕は、後者の変化を大切にしたいです。

なぜなら、社会の中で生きていくうえで必要なのは、トラブルが一切起きないことではなく、さまざまな状況に対応する力だから。

自分の気持ちを伝える。

相手の気持ちを知る。

思いどおりにならない経験をする。

困ったときに助けを求める。

そして、失敗した後にもう一度挑戦する。

こうした経験の積み重ねが、将来の社会生活につながっていくんだと、確信してます。

支援の成果を「問題が起きなかったこと」だけで測ってしまうと、子どもが新しいことに挑戦する過程そのものを見失ってしまう。

僕らが目指したいのは、ただ行動を管理することではなく、子どもが自分の力で生きていくための経験を支えることなんです。

本当の専門性は「正しい対応」を知っていることだけではない

発達支援には、さまざまな知識や技術があります。

行動の背景を分析すること。

環境を調整すること。

視覚的な手がかりを活用すること。

適切なコミュニケーションを教えること。

感覚や認知の特性を理解すること。

どれも大切です。

でも僕は、専門的な知識を持っていることと、その知識を子どもの成長に生かせることは、切り分けて考えてます。

どれだけ多くの支援技術を知ってても、目の前の行動を「やめさせるべきもの」としか捉えられなければ、その技術は行動を抑える方向にばかり使われてしまいます。

反対に、子どもの行動を発達の手がかりとして捉えることができれば、同じ技術でも、子どもの経験や選択肢を広げるために活用できます。

つまり、技術をどう使うかを決めるのは、その前段階にある支援者の視点『ものの見方・ものの捉え方』なんです。

僕は、支援者の専門性=人間性を考えるとき、3つ重要だと思ってまして。

①行動の背景を読み取る力
目に見える行動だけで判断せず、その子が何を感じ、何を求め、何に困っているのかを考える力です。

②行動から可能性を見いだす力
今できていることや、新しく見えた興味を手がかりに、次にどのような経験を用意できるかを考える力です。

③その可能性を具体的な支援に変える力
どれほど素晴らしい発達的な解釈ができても、実際の支援につながらなければ、子どもの経験は変わりません。
だからこそ、仮説を立て、環境を整え、実践し、子どもの反応を確かめ、必要に応じて修正する。

この継続、積み重ねが必要になります。

そして、ここで忘れてはいけないのは、支援者の解釈が必ず正しいとは限らないということ。

僕らが見いだした可能性は、あくまでも仮説に過ぎません。

その仮説に子どもを当てはめるのではなく、子どもの反応によって仮説を見直していく。

子どもを理解したつもりにならず、子どもから学び続けること。

これもまた、専門性=人間性の重要な一部だと思っています。

子どもの可能性を狭めるのは、障害特性だけではない

僕が特に伝えたいのは、ここです。

子どもたちには、それぞれに発達の特性があり、得意なことや苦手なことがありますよね。(子どもたちに限らず僕らにもあります)

その特性によって、経験しにくいことや、習得に時間がかかることもあるんですが。

でも、子どもの可能性を左右するのは、本人の特性だけではありません。

周囲の大人が何を期待し、どのような経験を用意し、どこまで可能性を信じて関わるか。

そうした環境の影響は、決して小さくありませんから。

例えば

ある子に対して「この子には難しい」と考えれば、支援者はその活動を最初から選択肢に入れないかもしれない。

「まだ難しいけれど、環境を調整すれば一部は経験できるかもしれない」と考えれば、参加の方法を工夫するかもしれない。

この違いによって、その子が経験できることは大きく変わります。

もちろん、何でも挑戦させればよいわけではないです。

本人の意思や負担、安全性を十分に考慮する必要がありますから。

それでも「難しい」という判断を、可能性を閉ざす理由にするのではなく、支援方法を考えるきっかけにしたいと、僕はそう考えてます。

「できないから経験させない」のではなく「どうすれば経験できるか」を考える。

この姿勢があるかどうかで、支援の方向性は大きく変わるはず。

こうした小さな姿勢の違いが、半年後、一年後、さらには数年後の子どもの姿に影響していくのだと思います。

ASTEPで大切にしたいのは「その先」を考える文化

僕は、ASTEPの支援者にも、目の前の行動に対して「その先」を考えてくれと、これはASTEP発足当初からの文化です。

例えば

活動中に席を離れた子がいたとします。

「どうすれば席に戻せるか」

もちろん、それを考える必要がある場面もあります。

でも、そこで思考を止めてほしくはないです。

なぜ席を離れたのか。

活動の内容が難しかったのか。

見通しが持てなかったのか。

身体を動かす必要があったのか。

別のことに興味が向いたのか。

どのような参加方法が適切だったのか。

次はどのような環境を用意すれば、主体的に参加できるのか。

そこまで考えて、初めて次の支援につながります。

友達に強く言い返した子がいれば、言葉遣いを注意するだけでなく、自分の意思を伝えようとしたことにも目を向ける。

活動を拒否した子がいれば、参加させる方法だけでなく、自分の意思を表現できたという側面にも目を向ける。

普段と違う行動を見せた子がいれば、その変化の背景に何があるのかを考える。

こうした視点を、支援者一人ひとりが持つこと。

そして、見いだした可能性を支援者間で共有し、次の実践へつなげていくこと。

僕は、それが組織として、具体性の高い支援の質を高めることにつながると考えてます。

優れた支援は、一人の支援者の感性だけに依存していてはいけない。

一つの行動に対して複数の視点を持ち、仮説を共有し、実践を振り返る。

その積み重ねによって、個人の気づきを組織の専門性へと変えていく。

ASTEPでは、そうした文化を大切にしていきたいと思っています。

「起点」をどう捉えるかで、支援の未来は変わる

最初の話に戻ります。

友達の物を取った子がいた。

そのとき、僕らは何を見るのか。

「物を取った」という問題ですか?

それとも「これまで関心を示さなかった対象に興味を持った」という変化ですか?

僕は、どちらか一方だけを見るのでは不十分だと思ってます。

問題は問題として適切に対応する。

同時に、その行動の中にある発達の手がかりを探す。

そして、見つけた手がかりを、次の経験へとつなげていく。

この両立こそが、専門的かつ人間性豊かな支援だと考えてます。

行動を無理に肯定的に解釈することではありません。

どんな行動にも必ず成長の兆しが隠されていると決めつけることでもありません。

目の前の行動を、その子の能力や可能性の結論にしないこと。

僕が最も伝えたいのは、このことです。

今日できなかったことが、明日もできないとは限らない、逆も然りです。

今は関心を示さないことが、これからも関心を示さないとは限らない。

今見えている姿が、その子のすべてではないということを常に心に留めておかないとです。

だからこそ、僕ら支援者は、目の前の行動から未来を想像し続ける必要がある。

一つの行動を、ただの問題として終わらせるのか。

それとも、その子の新しい経験につながる起点として捉えるのか。

その判断の積み重ねが、支援の方向性を形づくっていき、その子の将来に大きな影響を与える。

そして、ここにはもう一つ、忘れてはならないことがありまして。

子どもの未来を拓くのは、支援者の解釈そのものではなく、その解釈をもとに生まれる子ども自身の経験です。

僕らがどれだけ可能性を見いだしても、実際に挑戦し、感じ、学び、自分の力にしていくのは子ども自身ですよね。

僕らの役割は、その経験が生まれる環境をつくり、必要な支えを用意して、子どもが自分の力を発揮できる機会を増やしていくことにあります。

だからこそ、僕はASTEP支援者や世の支援者に問い続けたい。

その関わりは、目の前の行動を止めるためだけのものになっていないか?

その子が次にできるようになることまで、想像できているか?

その子の可能性を、僕ら自身の思い込みで狭めていないか?

行動を止めることが必要な場面は、当然あります。

でも、行動を止めたところで、支援者の思考まで止めてはいけない。

むしろ、そこからが支援の始まりですから。

目の前の行動は、支援の終点ではなく、次の支援を考える起点になる。

子どもの行動を管理する支援から、子どもの可能性を広げる支援へ。

その違いを生み出すのは、特別な教材でも、高度な技術だけでもありません。

まずは、僕ら支援者が目の前の子どもをどう見ているか。

そして、その子の未来にどれだけの選択肢を描けているか。

すべては、僕らの「起点の捉え方」から始まるのだと思います。

最後まで長文にお付き合いいただき、ありがとうございました◎

どうも!ASTEPホームページ管理人です! 京都の乙訓圏域で放デイを運営しながら、積極的に現場に入って福祉の現状の改善に奔走しています。 InstagramやX(旧Twitter)ゆる~く更新してます★ どうぞご覧あれ~◎

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