「見逃さない支援」と「指導しすぎる支援」は何が違うのか?

「見逃さない支援」と「指導しすぎる支援」は何が違うのか?

Xでもインスタグラムでも発信した内容をより深く、より濃くより深く発信したいと思います◎

まずはこの投稿をご覧ください。

X”ASTEP@放デイのぼやき”

この関わり、ちょっと厳しすぎるんじゃない?と思う人と、そこまでつきつめていかなきゃ~と思う人と、いらっしゃるかと思います。

発達支援としてフラットに見ていきながら解説していきたいと思います◎

方向性としてはかなり妥当な部分は多いと思います。

一方で、「毎回ちょっとしたことも見逃さず、丁寧に紐解く」が強くなりすぎると、支援として逆効果になる可能性もあります。

ポイントは「対話すること」そのものではなく、その対話によって本人が次回、自分で適切な行動を選べるようになっているかなんですよね。

まずは今回の場面に至る背景から…

●知的に高く、言語理解もスムーズ
●ASTEPに来るのはストレスだ!という発言あり
●同乗していた他2名の子どもさんは、ASTEPに来ている意味を深く理解していて、その話をお互いにしていた。
●突発的、衝動性が高い言動・行動が散見される。

そして、今回の場面を分解すると…

●到着前のアナウンスで覚醒する
→ 到着しても半目で確認しながら横になっている
→ 僕がもう一度「起きよう」と指示するのを待つ

という行動ですよね。

ここで「起きてるでしょう、早くしなさい」で終わらせませんでした。

●起きているのに、どうしてそのままにしていた?
●自分ではどうしようと思っていた?
●みんなが降りる場面でそのままだと、周囲にはどんな影響がある?
●次に同じ状況になったらどうする?

こうやって扱うこと自体は、社会的認知、自己理解、他者視点、行動の振り返り、次場面への般化を促すという意味で、発達支援として筋が通っています。

特に良かったのは、単純に「言うことを聞かせる」のではなく、行動の理由→結果→代替行動まで本人と考えようとしたところ。

最終的に「施設に着いたら、大人に言われなくても自分で起きて降りる」という自己管理につながるなら、支援としては意味があります。

ただ、ここに一つ大きな注意があります。

もしも子どもが「地獄の時間」になっているなら、その部分は検討した方がいいかと思います。

本人にとって多少耳の痛い振り返りになること自体は問題ではありません。

しかし…

小さな行動 → 長い問いかけ → 気持ちを説明させる → 周囲への影響を考えさせる → 正解に到達するまで対話

というパターンが頻繁になると、本人からすると「何かするとまた言われて詰め寄られる」という学習になることがあります。

すると、本来育てたいはずの

自分で考える → 大人に相談する → 失敗を振り返る

ではなく…

目立たないようにする → 本音を言わない → 大人が求めている答えを探す

が強化される可能性があります。

このケースに限らず、発達支援ではかなり重要なポイントです。

また、本人に「なぜそうしたの?」と聞いても、本人自身が理由を言語化できるとは限りません。

「まだ眠かった」
「誰かに起こしてもらいたかった」
「降りるタイミングが分からなかった」
「面倒だった」
「なんとなく」

全部あり得ます。

発達特性のある子の場合、行動した時点では明確な意図が存在しないことや、後から理由を求められて説明を作ってしまうこともあります。

なので「どんな気持ちでそうした?」を深掘りすること以上に

事実 → 次の行動

を短く結びつける方が有効な場面も多いです。

たとえば今回なら…

「アナウンス(声掛け)で起きてたよね。着いたとき、次はどうしたらいいと思う?」

もしも本人が

「起きて降りる」

と言えれば…

「そうだね。次から到着したら、自分で起きて降りようか。」

くらいで終わらせる。

そして次回、本当に自分から起きた瞬間を拾う。

「今日は自分で起きて準備できたじゃん!」

こちらの方が学習として強いこともあります。

つまり…

見逃さない=全部を長時間指導する

ではないんです。

むしろ発達支援として成熟してくると…

見逃さないけど、介入の濃さを変える

という考え方になります。

軽微で本人が理解していることなら10秒。
繰り返しているなら少し振り返る。
本人が理由を理解できていなければ一緒に整理する。
他者への影響が大きい行動ならしっかり扱う。

という具合です。

そして、文章の中で僕が一番大事だと思うのは…

積極的に対話の機会を作る
そうやって関係を築いていきながら、社会的な行動を少しずつ覚えて集団での活動に落とし込んでく

ここです。

この部分は、発達支援の目的としては自然です。

ただ「社会的に正しい行動を教えるために対話する」のと「本人と一緒に、自分に合った社会参加の方法を考える」のでは微妙に違いますよね。

後者になっているほど良いと思います。

最終目標も…

「支援者に注意されなくなる」

ではなく…

状況を把握する → 自分の状態を理解する → 周囲への影響も考える → 自分で行動を選択する

という自己調整に置く。

今回なら究極的には、僕が何も言わなくても…

「着いたな。眠いけど降りる時間やな~」

と本人が判断できることです。

なので、このエピソードだけから評価するなら、支援思想や方向性は妥当

だけど「些細なことも見逃さず対話する」を絶対化しない方がいい、というように振り返りました。

「見逃さない」の対象は問題行動そのものというより、その子が学習できる瞬間と考えるとかなり良くなるかと思います。

問題が起きた瞬間だけでなく「今日は自分でできた」という瞬間も同じで、あるいはそれ以上の解像度で拾う。

そこまでセットになると、かなり発達支援らしい関わりになるかな~と。

こう振り返りました。

こうした事象事例は、集団で活動をしていると拾いきれなくなるくらいたくさんあります。

それらを全部拾い上げていくのは現実的でないし、お互い息苦しくなると思うんで…

『ここぞというとき』

に絞って、焦点を合わせながら関わりを進めていくといいかもしれませんね◎



ASTEP(アステップ)への
お問い合わせはこちら

どうも!ASTEPホームページ管理人です! 京都の乙訓圏域で放デイを運営しながら、積極的に現場に入って福祉の現状の改善に奔走しています。 InstagramやX(旧Twitter)ゆる~く更新してます★ どうぞご覧あれ~◎

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


PAGE TOP